バイザグラスのソムリエ松沢裕之です。

南アフリカ共和国はアフリカ大陸の最南端にある国で、世界有数のワイン生産国です。

この国のブドウ樹は1650年代にオランダ人によって持ち込まれました。
オランダ東インド会社のヤン・ファン・リーベックという人物が喜望峰に貿易中継基地を築いてケープタウン総領事となり、そのときに持ち込んだブドウからワイン造りが始まったとされています。

その後1680年代にフランスの新教徒ユグノーたちが本国での宗教的迫害を逃れてこの地にやってきて、ワイン造りの技術を持ち込みました。

ブドウ畑はケープタウン周辺のステレンボッシュコンスタンシアといった地域に広がっていきました。

ちなみに18世紀末から19世紀にかけて、コンスタンシアでミュスカ種から造られた甘口ワインがヨーロッパの王侯貴族の間でもてはやされ、マデイラやソーテルヌとともに人気だったそうです。

南アフリカが品質を意識したワイン造りに取り組み始めたのは1980年代になってからで、
そのワインが国際市場に登場するのは、アパルトヘイト(人種隔離)政策全廃後の1990年代以降のことです。

今日では南アフリカのワイン生産量は世界のトップ10に入ります。
南アフリカのワインのほとんどは、喜望峰周辺のコースタル・リージョン(沿岸地域)と呼ばれるエリアからやってきます。

kwv_cs

南アフリカでは伝統的に大規模な生産者がワイン産業を支配していました(今でもその名残は残っています)。

20世紀の南アフリカのワイン産業において決定的に重要な役割を果たしたのが、1918年設立のKWVという巨大な組合組織です。

KWVは現地のアフリカーンス語で Koöperatieve Wijnbouwers Vereniging van Suid-Afrika (南アフリカワイン醸造者協同組合連合)の略です。
(オランダ語に似たスペルですが、これはアフリカーンス語がオランダ語から派生した言語だからです。)

KWVは1990年代前半まで国のワイン産業を実質的に支配しており、生産者別の生産量の割り当て、最低取引価格などを一元的に決めていました。

KWVの管理によって、もっぱら量的供給の面では国のワイン産業は安定しましたが、
独自に高品質なワインを造りたい生産者にとっては、KWVは目の上のたんこぶ的な存在でした。

その後、上述のようにアパルトヘイト政策が撤廃されて輸出への扉が開かれると、海外市場をターゲットとした高品質ワインに注力する生産者が増えていきました。

そのような流れの中でKWVも歴史的役割を終え、1997年に協同組合から会社へと組織変更され、2004年までに完全に私企業化されました。

ぼくは1990年代半ばに仕事の関係でオランダに2年ほど住んでいたことがあります。
アムステルダムのワインショップでは当時から南アのワインを見かけましたが、ほとんどがKWVでした。。

南アフリカは一般に新世界(ニューワールド)の産地として括られていますが、そのワインを実際に飲んでみると、ヨーロッパのワインを想起させるところがあります。

たとえば南アフリカのカベルネ・ソーヴィニヨンは、完全にではありませんがフランスのワインと少々似たところがあります。
逆に言うと、カリフォルニアやオーストラリアのワインにそれほどは似ていません。

南アフリカのワインは、フランスワインのような繊細さも持ちつつ、アメリカやオーストラリアのワインのような肉感のようなものも兼ね備えています。
大まかに言えば、ヨーロッパと新世界の中間的な性格を持ったワインといえると思います。

okiraku-koza_banner