バイザグラスのソムリエ松沢裕之です。

このブログを書き始めて6週間が過ぎました。
毎日1つずつ記事を書いているので、昨日で42記事目です。
とくにこの2週間は、ワインのテイスティングのことを集中的に書いてきました。

その中で「素晴らしいワイン」とか「良いワイン」といった言葉を、ぼくが一切使っていないことに気づきましたか?

ワインショップに入って
「さわやかな味わいのワイン」だとか
「土のような風味のワイン」だとか
「ミディアムボディのワイン」などといったワインコトバを使うよりも、

「今日の夕食用にとても良いワインください!」
とだけ言う方が、ぶっちゃけラクはラクですよね?

品質、もしくは価格に対する価値(いわゆるコスパ)は、多くの人にとってワインを選ぶ際の究極の関心事だと思います。

実際、よほど安い価格帯のガブ飲みワインでない限りは、ワインのマーケティングの大部分は「品質」という概念を中心に置いて展開されています。

ワインの生産者はいつだって、ワインコンクールでの受賞歴やロバート・パーカー氏のようなワイン批評家からの品質評価を自慢げにアピールしています。
そうした "高評価" は "高品質" を連想させるので、ワインの売上げアップにつながっていくからです。


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 ▲「プティ・ブルジョワ」ソービニヨン・ブランはネットで千円台で買えるお手頃ワインだが、ぼくにとっては素晴らしいワイン


しかし「品質の良いワイン」というものは、赤ワインにも白ワインにもありますし、甘口ワインにも辛口ワインにもありますし、どんな風味のワインの中にも存在します。

そのワインが高品質と言われているからといって、あなた自身がそれを美味しく感じるとは限りません。

高い評価のついているレストランに行っても、少しがっかりしてお店を出てきた経験はないでしょうか。

それと同じで、せっかく高評価がつけられているワインを買ってきても、飲んでみたらあまり美味しいと感じられず、残念に思うことは結構あるものです。

ぼく自身にあてはめてみても、ロバート・パーカー氏が高得点をつけたワインは一般に味が強すぎて、エレガント系の味わいが好きなぼくにとっては好みでないことが多々あります。

ですから、たんなる品質ということよりも、個人的な味わいの好みのほうが、ワイン選びではずっと重要なことなのです。

ワインには「品質のレベル」というものが確かに存在します。
しかし、ワインの品質評価というものは絶対的な指標ではありません。
そのワインがどれだけ素晴らしいかは、誰がそれを評価するかによるのです。

ワインの品質を測る道具は人間の鼻・口・脳です。
それは人によって異なるわけですから、そのワインが良いかどうかは、みなそれぞれ違った意見を持つのです。

もちろん一般の人々の意見と、日頃からテイスティングをしていてワインに対する嗅覚・味覚が訓練されている経験者たちの意見とを比べてみれば、後者のほうが品質のレベル(このワインがどの程度のワインか)については正しく評価できるでしょう。

しかし、自分が飲んでみて美味しいと思うかどうかが一番大切で、
それを決めることのできる最高決定権者は自分自身なのです。

だからこそ、たんに「良いワイン」という画一的な表現をするのではなく、
自分の好みをワインコトバで伝えられるようになればなるほど、自分にとって本当に素晴らしいワインに出合えるようになっていくのです。

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